ご挨拶

御所神社ホームページ開設の経緯

御所神社 宮司 稲垣英子

今日に至る歴史のなかで、日本にも数多くの戦(いくさ)がありました。令和3(2021)年は、そのひとつである承久の乱から800年目の節目にあたる年でした。その11月7日、御所神社と土御門上皇顕造学会の共催で「土御門上皇御遷幸八百年式典」「御所ノ井再興報告祭」を挙行いたしました。式典には約100名が参加し、その様子がNHKや徳島新聞社、阿波市ケーブルネットワーク、阿波市広報において紹介されました。 それと並行して約1年間、土御門上皇顕造学会が中心となってZoom懇談会(隠岐島・佐渡島・徳島の三上皇配流地の3島ネットワーク)が持たれました。その様子はNHKの歴史番組「あわ歴史散歩」においても紹介されました。

そのような取り組みもあって土御門上皇所縁の地を訪れる人が多くなり、お問い合わせも増えてきました。

 2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の物語は父・後鳥羽院が院政を敷いた土御門天皇の御代に鎌倉で繰り広げられた権力闘争が描かれるもので、3人の上皇が何らかの形で描かれることになります。この機に聖地巡礼ということで、隠岐島・佐渡島・徳島の3つの島を巡る方もおられ、大河ドラマをご覧になってより一層興味を持ち、土御門上皇所縁の地・阿波を訪れる方々が増えると考えられます。その方々になんかの「道しるべ」になればという思いで、ここに御所神社のホームページを開設することに致しました。参考にしていただけることがあれば幸いです。             

御遷幸八百年式典開催のご挨拶

御所神社総代会・会長 吉本健二

今回、御所神社と土御門上皇顕造学会の共催で「土御門天皇御遷幸八百年式典」「御所ノ井再興報告祭」を行います。この式典及び報告祭が、多くの参加者のもと盛大に開催されることは、御所神社及び総代会として、この上ない大きな喜びです。式典及び報告祭開催にご協力いただきました御所神社宮司・総代会・氏子の皆様、地域の皆様、また今回の「御所ノ井」建設工事をしていただいた大工工事マスダ様・四季の庭植正様に,総代会を代表して心より御礼申し上げます。

 土御門上皇様は後鳥羽天皇の第一皇子として生まれ、建久9年1月11日(1198年)に4歳で即位し、承元4年(1210年)に16歳で順徳天皇様に譲位して上皇となられました。1221年に起こった承久の乱で上皇様は土佐へ配流され、その後阿波へと御遷幸され、阿波の国に宮殿を造営したといわれています。その宮殿の地が、阿波市土成町吉田の御所屋敷だと伝えられています。そして1231年(寛喜3年)に37歳で配流先の阿波市御所で崩御されました。その崩御されたとされる宮川内谷に、摂社の御所神社が鎮座しています。

 御所神社は土御門上皇様を御祭神としている神社でございます。今回の「土御門天皇御遷幸800年式典」と「御所ノ井再興報告祭」は、御所神社の念願であり,昨年度から事業を進めてまいりました。今回のこの事業は、御所神社の歴史に大きく刻まれることになり、過去から未来への大きな架け橋の役割を果たすこととなります。

 もとの御所神社(現・土御門上皇行宮跡)は地元では昔から「御所さん」と呼ばれて親しまれてきました。この神社は子どもの遊び場として、また桜並木があり家族で花見をしたり、秋には豊作を祈願して御輿・屋台・夜店が出てにぎやかでした。今,思えば懐かしい思い出ばかりです。

 近年の社会情勢・経済情勢の厳しい中ではございますが、土御門上皇様のおいでる御所神社は村の宝であり、心のよりどころでも有ります。今後も子どもたちに思い出を作れるような神社として、守り、引き継いでいくのが私たちの努めです。

 今回、ご協力をいただきました皆様の益々のご健康とご多幸を御祈念いたしまして、ご挨拶とさせていただきます。  

(令和3年11月7日)

画像:NHK徳島ー2021年12月22日放送
「承久の乱800年 土御門上皇と徳島」より抜粋

土御門天皇は融和の象徴天皇

土御門上皇顕造学会 代表 渡井 亨

紅白歌合戦や紅白綱引きは、「赤旗」をかかげた平氏と「白旗」の源氏による源平の戦いが起源だと言われています。しかし、美しい国旗「日の丸」が表すように、この2色には対立でなく融和の願いが込められています。

 土御門上皇は、平氏と源氏双方の縁をお持ちでした。そして父の後鳥羽上皇が起こした承久の乱は、朝廷と幕府の戦いでしたが,土御門上皇は「融和」を訴えて戦いに反対され続け、その願いはその後の日本に受け継がれています。

 赤色と白色を混ぜ合わせるとピンク色になります。それは、「2つのものが溶け合って1つのものになること」という意味の「融合」の言葉に当たります。ほとんど同じ意味合いで使われますが、「融和」の言葉には、「対立的な要素がなくなって調和すること」という意味で使われます。その代表が「日の丸」です。

 色とは不思議なものです。例えば、色の3原色の原理に「減法混合」と「加法混合」があります。「減法混合」とは、インクの3原色(シアン・マゼンタ・イエロー)を混ぜると黒色になります。これは、3色を混ぜ合わさせるとそれぞれの持っている色のエネルギーが減少し暗くなるからです。

 反対に「加法混合」は、光の3原色(赤・緑・青)に代表される組み合わせで、3色の光を混ぜ合わせると白色になります。これは、それぞれの持っている光のエネルギーが加算されることにより明るくなる現象です。

 朝廷と幕府のどちらが主導権を握るかの戦いであった「承久の乱」は、ある意味「減法混合」に例えることができます。土御門上皇の実績はほとんど歴史的に残っていませんが、聖徳太子がはるか昔に理想として挙げられた“和”の国、「帝;権威」「臣;権力」「民;活力」の3つが互いに活かし高め合うことができる政治体制の根幹を築かれたように思います。これは,ある意味「加法混合」に例えることができます。

 お祭りでは御輿を担ぎ、収穫を祝います。御輿の中の御神体は「石」であったりします。その石を神様と信じて担ぐからこそ、「有り難い」と担ぎ手の心がひとつになります。「ただの石」と思った瞬間に、全ての価値が無くなります。土御門上皇顕造学会としては、その御神体としての石を「融和の象徴天皇」として担ぎたいと思っています。

(令和3年11月7日)